電脳戦機バーチャロン×とある魔術の禁書目録 とある魔術の電脳戦機

 


販売元セガゲームス
ジャンル対戦アクション
プレイ人数オフライン:1人 オンライン:最大4人
対応機種PS4、PSVITA
発売日2018年2月15日
対象年齢CERO:C(対象年齢15歳以上)

 

15年の時を経て新生する傑作

 「バーチャロン」とはかつて一世を風靡した、セガの対戦アクションゲームシリーズである。
 1995年から2000年代前半にかけてリリースされ、当時ゲームに親しんだ者であれば誰もが知っていたであろうほどに、アーケードゲーム(業務用ゲーム、ゲームセンター等で稼働するゲーム)界隈を賑わせたタイトルであった。

 そうした輝かしい評価を受けた作品でありながら、様々な不運や時流の変化が重なり、2003年を最後にタイトルの発表は絶たれ、今日に至った。およそ15年、1つのコンテンツが忘れ去られ、風化するには、十分過ぎる時間である。
 にも拘わらず、2018年2月15日「脳戦機バ電ーチャロン×とある魔術の禁書目録 とある魔術の電脳戦機」と銘打って、新作がリリースされる。長編ライトノベルシリーズ「とある魔術の禁書目録」とのコラボレーション作品である同名小説を原作とした、完全新作の「バーチャロン」である。

 「何故今なのか?」「どうしてコラボなのか?」
 長年、バーチャロンシリーズを支持して来たファンから、喜びよりも先に戸惑う声も聞かれた。確かにファンが新作を待ち望んでいたことは確かだが、15年という歳月はそうした希望を諦念混じりのものに足る時間であったし、コラボレーション相手である「とある」シリーズと言うライトノベル作品も「バーチャロン」ファンからすればあまりにも縁のない存在(それは「とある」ファンから見たバーチャロンも恐らく同じ存在であろうが)であった。
 何故15年もの時を経て今、新しい「バーチャロン」が生まれようとしているのか。
 バーチャロンの歩みをたどりながら、その疑問について考えてみたい。

「ロボットアクション」の先駆者

▲第1作「電脳戦機バーチャロン」 ゲーム全体に一石を投じる存在となった。

 ゲームにおける3Dポリゴン表現がまだ発達途上であった90年代半ば、3Dで表現されたロボット達を2本の操縦桿状のコントローラーで操作し、縦横無尽に空間を駆け巡らせることが出来た「バーチャロン」と言うゲームの登場は、先にも触れた通り、ゲームシーンに大きなインパクトを与えた。
 それは「ロボットを操作するアクションゲーム」と言うジャンルを確立させるほどのものと言っても過言ではなく、その後口火を切ったかのようにストレートにバーチャロンを模倣したもの、あるいは3Dでロボットを表現し操作すると言う点は同様ながら独自性を模索し、実現させたもの等、多数の「ロボットを操作するアクションゲーム」がリリースされていった。
 今日でこそ、ゲームとロボットと言う組み合わせはありふれた存在のように思えるが、バーチャロン以前のゲーム業界では「ロボットものは売れない」との暗黙の了解があったのだと言う。バーチャロンの開発販売を行ったセガにおいてもその風潮は強く、毎年のように若手社員が「ロボットもの」の企画を上申しては、煙たがられ、棄却される…と言った流れがあった。 

 「何故ロボットゲームはダメなのか?」
 その疑問に端を発し、然るべきコンセプトと技術を用いれば「ダメではない」と回答するため、1本の「ロボットもの」開発プロジェクトが発足した。上層部から「どうせ売れないのだから」と、失敗することを前提に、半ば見せしめの形で認可されたそのプロジェクトこそ、後の「電脳戦機バーチャロン」である。

 95年12月、稼働を始めたバーチャロンは大方の予想を覆し、大きな成功をおさめた。平均寿命3か月余りと言われていた当時のアーケードゲームの中にあって、ロボットを自在に操れる爽快感と斬新さを感じさせたバーチャロンは3か月、半年、それ以上と堅調な売上(この場合はゲームセンターで筐体がどれだけ硬貨を投入され、遊ばれたかを指す)を示し続けた。ディレクターとプログラマー、たった2人から始まり、上層部から忌み嫌われ続け、まともな機材も予算も与えられなかった小さなプロジェクトが、ゲーム業界の不文律を見事、覆したのだ。 
 しかし新たな時代を拓き、成功を収めたものに待っていたのは、矢継ぎ早に求められる次なる成功と、競合者の猛烈な追走であった。

▲バーチャロンと、その後に続いた「ロボットもの」達のプレイ風景。中には盗作としか思えないようなものも…

 

「2」の壁

 「ロボットものは売れない」。
 その観念は幻想であると言うかの如く打ち砕いて見せたバーチャロンであったが、売れる商品であると知れれば、その次―即ち続編を作ることが求められた。初代バーチャロンを完成させたことで、ある種の達成感を得ていたと言うシリーズのディレクターである亙重郎氏は「バーチャロン2」を求められたその時、「様々な要因があったが、当時のセガ社内はコンテンツを育てると言う発想が希薄であり、自分が引き受けなければバーチャロンと言うコンテンツがこの先どう言う扱いを受けるかわからない」―そう言った思いで「2」開発プロジェクトを引き受けたと手記で語っている。

▲第2作「OT」人間の限界を試すかのような目まぐるしい戦いが繰り広げられた

「ただの続編ではなく、新しい遊び、楽しみを提供する存在でなければならない」。
 そう言った思いを込めて、「2」改め「電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム」(以下OT)と名付けられた新作が、98年3月リリースされた。
 しかし、その売上は芳しくなかった。
 極端なまでに高速化されたゲームスピードと、大幅にバリエーションを増やした各種操作の難解さから、ゲームとしての敷居を大きく上げてしまったことが一因とされている。既存プレイヤーからは「速いばかりで、自分と相手が紐で繋がれているかのようであり、”空間”が感じられた前作と比べ、”線”での戦いに退化してしまっている」と言った指摘もあった。
 結果として、前作で獲得した支持者の多くを振るい落とす事になり、前作の評判から、全国各地のゲームセンターに広く筐体が販売されたにも関わらず、その多くが早々に撤去されることとなってしまった。
 この躓きが、バーチャロンシリーズの前途に大きな影を落とすこととなる。

 

 
 

セガの迷走とゲームセンターに立った「ガンダム」

▲第3作「フォース」2対2形式へのルール変更、磁気カードによる追加要素の導入等意欲的な試みが見られた

 前作が偉大であればこそ、その存在が壁となり、OTは厳しい評価を受けることになった。
 さらに、当時のセガは自社家庭用ゲーム機「ドリームキャスト」(以下DC)に関連した事業に傾倒しており、特に当時としては先進的であったネットワーク機能の整備について、通信関係の他社をも巻き込んだ巨大プロジェクトが進行していた。ゲーム機を通し「全世界中の人々を結ぶ」と言う遠大な計画であったが、その内情は精細な検討、検証を欠いた杜撰なものであったと言う。
 アーケードゲームであるOTもDCへの移植が決まっており、ネットワーク機能を利用した通信対戦を目玉要素としていた。巨費を投じ整備された専用インフラは、確かに当時としては破格の通信速度を発揮し、家に居ながらにしてゲームセンターさながらの対戦環境を実現すると言う目的は、果たされたと言える。しかし、1分10円と言う、現代では信じがたい高額な通信料金が災いし、OTの通信対戦サービスは大きな利益を得ることが出来なかった。

 バーチャロンはアーケードとDC、2つの場で商業的失敗を喫することになったが、まだ次回作と言う挽回の機会は残されていた。
 その3作目、「電脳戦機バーチャロン フォース」(以下フォース)もまた、幹部の夢想に近い要求や、分社化の流れ等に翻弄され、「OTの続編ならば、いらない」と顧客(ゲームセンター側)に突き放され筐体の受注が伸び悩む等、数多の苦境に立たされた。
 さらに、フォースがリリースされる2001年10月に半年ほど先駆けて、あるロボットアクションゲームがアーケード界に登場した。
 「機動戦士ガンダム 連邦VSジオン」である。

 バーチャロンのビジュアルを初めて目にした時、「ガンダム?」と真っ先に頭の中に浮かんだ方も多いのではないだろうか。小学生当時、初めてバーチャロンをプレイした筆者にしても、全く同じことを思っていたような覚えがある。それほどまでに「ガンダム」と言う存在が日本における「ロボット」の顔として、認知されていると言って間違いないだろう。
 そのガンダムが、ゲームセンターへと踏み込んできたのだ。
 ガンダムの持つネームバリューは絶大であり、ゲーム性そのものもシンプルに纏められていて敷居が低く、全国のゲームセンターで大好評となるのも、無理からぬことだった。正確に言えば、これ以前にもガンダムのアーケードゲームは存在したのだが、格闘ゲームやシューティングゲームと言った「ロボットを操作している」感覚が味わえるゲームではなかったし、成功と言えるほどの成果は残していない。それと比較すると、「連邦VSジオン」がガンダムと言うブランドに頼っただけのゲームではないことが窺い知れる。

 ガンダムを向こうに回し、それでもフォースはよく健闘した。
 販売された筐体は堅調な売上を示し続け、一度は「いらない」と導入を拒否した顧客に「あれなら自分のところにもほしい」と言わしめるほどであった。しかし、特殊かつ非常に高価な特殊基盤を筐体の核にしていたフォースは、そうした需要が発生した時には既に再生産と追加販売が不可能な状況となっていた。フォースで「2対2のチーム戦」へと舵を切ったが、奇しくも先行したガンダムが、同様のルールを掲げていたのもなんとも具合が悪い。
 「ロボットアクションゲーム」と言うジャンルが、もはやバーチャロンの独壇場でないことは、明白だった。

▲「機動戦士ガンダム連邦VSジオン」 シンプルで手軽なゲーム性で多くのプレイヤーの心を掴み「VSシリーズ」として今日でもシリーズが継続している。

 

バーチャロンの黄昏、群雄割拠するロボット達

 そもそも、家庭用ゲーム市場に目を向ければ、2001年以前から魅力的なロボットゲーム達が芽吹き始めていた。
 ガンダムにしても96年発売の「ガンダム外伝」3部作は主観(コクピット)視点による臨場感が素晴らしく、大きな売上を記録していた(なんとバーチャロン専用操縦桿型コントローラーにも対応していた)。97年には自分好みにロボットの各部位や武装をカスタマイズし、操作できる「アーマード・コア」シリーズが登場し、以後10作以上にも及び続編が作られるロングセラーとなった。
 3Dポリゴンによる表現や、ゲーム性を左右するプログラミング技術と開発環境の整備が爛熟期に達し、先に触れたような単なる模倣ではない、独自性と優れたゲーム性をもったロボットアクションゲームが、既に数多く生まれていたのだ。

 バーチャロンも、タイトルをまたぐ毎にそのゲーム性をがらりと変え、独自性や新たな遊びの形を模索する努力を続けてきたが、後続のロボットアクションゲームが次々と生まれ競い合う市場で、徐々にそのジャンルの中へ埋もれ、紛れる存在となっていったことは否定できない。フォースをベースにした初の家庭用ゲーム機専用のバーチャロン「マーズ」も2003年に発売されたが、やはり大きな成果を上げることはできなかった。
 その後、セガの経営不振に端を発する株式の売却、他社との経営統合等により合理化が推し進められたこともあり、ゲーム開発そのものが大きく縮小される運びとなった。思うような商業的価値を示せなかったバーチャロンもまた、その流れからは逃れられず、マーズを最後にゲームの表舞台から姿を消していくことになる。

 バーチャロンが去った後も、ロボットアクションと言うジャンルは進化と発展を続けていった。
 中でも、2006年に登場したアーケードゲーム「機動戦士ガンダム 戦場の絆」は特筆に値する。またガンダムか、と思われるだろうが、ガンダムと言う看板を外したとしても、「ロボットを操縦するゲーム」としては1つの到達点であると評しても過言ではない。
 半球状の投影型スクリーンを備えた巨大な密閉型筐体の威容は、もはや完全に巨大ロボットのコクピットそのものである。プレイヤーはその中に入り、スクリーンいっぱいに映し出されたロボットの視界(=コクピットからの視界)を見つつ、2本の操縦桿と2つのペダルでロボットを操作し、最大8人のチームを組み、敵味方にわかれて競い合うのだ。ゲームと言うよりも、アトラクションと表現した方が適当かもしれない。その臨場感、没入感はすさまじく、1回500円と言う法外なプレイ料金にも関わらず大好評を博し、稼働開始から10年以上経った今でもアップデートされ、現役であり続けている。
 また、セガからも2009年「ボーダーブレイク」と言うタイトルが登場した。

「機動戦士ガンダム 戦場の絆」(上)と「ボーダーブレイク」(下)
近しい要素を持ちながら、異なる方向性のアプローチで多くのプレイヤーを魅了した。

 こちらはよりゲームとしてのカジュアルさや爽快感を追求した作風であると言え、ロボットの頭・胴・腕・脚、そして武装を自由にカスタマイズすることが出来、オンライン上でマッチングした10名でチームを組み、最大20人が入り乱れて互いの拠点陥落を目標にして試合を行っていく。
 その辺りのルールは、実は先述の「絆」も近いものがあるが、こちらの方が試合に参加するプレイヤーの数が多く、やられてしまった際のペナルティも非常に少ないことから、チーム戦でありながら個々が負担する「勝利のための責任」とでも言うべきものが軽い。また、拠点付近で立っていればその奪取に貢献出来たり、味方を修理する、あるいは索敵して潜んでいる敵を探し出す、と言うような様々な役割が存在し、直接敵と撃ち合うことが苦手なプレイヤーでもチームの勝利に貢献し、楽しむことが出来る仕組みとなっている。その間口の広さでボーダーブレイクもまた、現在まで幾度ものアップデートが繰り返され、愛され続けるゲームとなっている。
 そうした次代のロボットゲーム達の影で、バーチャロンは長い雌伏の時を過ごしていた。

 

動く死体か、あるいは…

 15年もの間、バーチャロンと言うシリーズがただ眠りについていたのかと言うと、そうではない。新作が日の目を見ていなかったのは確かであるが、あちらこちらにバーチャロンと言うコンテンツは顔を見せていた。

▲「スパロボ」に登場しデフォルメされた姿 スパロボ、バーチャロン両陣営の努力により、ファンも納得のビジュアル

 代表的なものでは、今日でも毎年のように新作が発表される人気ゲームシリーズ「スーパーロボット大戦」(以下スパロボ)への登場が挙げられる。同作は新旧のロボットアニメが一堂に会すと言うクロスオーバーを売りにした作品であるが、そこに「ゲーム業界出身のロボット」と言う異色の存在として2005年、バーチャロンが初登場し、大きな驚きをもって迎えられた。その後2009年、2013年と発売されたスパロボへ、都合3度の登場を果たしている。

 また、2009年にOTが、2010年にはフォースがそれぞれ家庭用ゲーム機向けに移植されたことも無視はできない。
特にフォースに関しては、シリーズ中唯一家庭で遊べる環境がなかったため、プレイヤーにとっては9年越しの悲願であった。
 その他、プラモデルの不定期な商品化、他作品とのささやかなコラボレーションと言った形で半ばゲリラ的に、しかし確実にバーチャロンと言うタイトルは活動を続けていた。

 動いていたのは、作品を供給するメーカー側だけではない。
 シリーズを支持するプレイヤー達もまた、月日が過ぎ行く中で少しずつその数を減らしながらも、ゲームセンターで、あるいは家庭用移植版で、それぞれプレイを続けていた。
 既に、OTがまるでシリーズ凋落の原因であるかのように語ってしまったが、多くの既存プレイヤーを失ってもなおOTを支持する声は確実に存在したし、亙氏が自らの手記で事実としての商業的失敗を明かすまでは、むしろOTこそバーチャロンの最も華やかなりし時代であった、と言うような認識が珍しくなかった。商業的な数字には反映されなくとも、そう思わせるだけの熱意を持って遊び続けるプレイヤー達がいると言う証左であろう。
 フォースにしても、先述した理由で世間に多くが出回ることがなく(県内に1台も設置されていないので隣県までプレイしに赴く者さえ存在した)、修理もままならない状況であったにも関わらず、筐体の破損した部分を他の筐体から部品を抜き取って補うと言った”共食い”とも呼べるような強引な手段すら用いて、現在もごくわずかな筐体がゲームセンターで現役稼働している。

 そんなメーカーとプレイヤーの様を、さながらソンビ(動く死体)のようだと言う声もあった。新作が世に出ることはないのに、何年も何年も飽きることなく、1個の古いコンテンツにいつまでも食らいついている様は、「シリーズとして死んでいる、しかしなお動いている」と表現されても、なるほど、無理はないのかもしれない。
 しかし、バーチャロンは死んではいなかったのである。

そして「とある」との出会いへ

 ここへ来て、ようやく「とある魔術の電脳戦機」である。
 元々は、初めに述べたようにまずコラボレーションノベルとしての同名小説が、2016年発刊された。日陰者になって以降、他作品とのコラボレーション自体はバーチャロンにとって珍しくもないことになっていたため「また妙なことを始めたな」と戸惑う声や、やや冷淡な視線も少なくはなかった。
 しかし、当の小説の評価は、けして悪いものではなかった。

▲小説「とある魔術の電脳戦機」 電撃文庫刊

 とあるシリーズの原作者、鎌池和馬氏それまでバーチャロンを全く知らず、亙氏から電話帳と見紛うばかりの設定資料の束を渡された上で、それらを読破し、あまつさえそこになかった情報さえ自分で調べ上げ、亙氏に様々なアイデアを提起してきたと言う。亙氏もそれに応じるように打ち合わせのレスポンスを速めていき、熱意と熱意の応酬とでも呼ぶべき日々が続いた。

 かくして、「とある魔術の禁書目録」の世界に「バーチャロン」の概念が融合した「とある魔術の電脳戦機」が誕生した。バーチャロンプレイヤー側からの視線となるが、筆者から見てもバーチャロンの要素を丁寧にかみ砕き、おざなりに扱うことなく2つの世界が混ざりあい、新鮮な変化が魅力的なものとして映る作品となっていると思う。特に敵役であり物語の鍵を握る「ブルーストーカー」なるキャラクターの造形は、バーチャロンの世界観を凝集して人の形をとらせたかのようで、とても印象深かった。異論はあろうが、コラボレーションとしては素晴らしいものであると評したい。

 何故そこまで上手くマッチングしたのだろう。原因の1つは小説家としての鎌池氏の熱意と手腕によると言って間違いない。ではバーチャロンの方はどうだろうか?
 

 

「なんでもあり」の「キャラクター」としてのバーチャロン

 筆者は「とある」と「バーチャロン」をうまく結び付けた要素の1つに「キャラクター性」があると考える。バーチャロンに登場するロボット、バーチャロイド(VR)は、物語としての設定上戦闘を目的として製造された、巨大人型兵器である。その肩書を見ると、やはり「ガンダム」などのロボットの姿が目に浮かぶ。

▲万能型VR「テムジン」 癖のないデザインと性能は、常にシリーズの看板を担い続けている。

確かにシリーズの顔とも言うべきVR、「テムジン」の立ち姿だけを見ると、特別な印象を受けることはないかもしれない。しかしそこで新たなVR、「フェイイェン」に目を向けてみるとどうだろうか。

 このVRは、シリーズを通してデザインを担当しているカトキハジメ氏の肝いりで、当初予定になかったにも関わらず、初代バーチャロン開発半ばに追加された「女性型」VRである。まず看板であるテムジンを見て、ガンダム的なオーソドックスなロボットだろうかと認識したところに、まるでカラーの違う女性型ロボットの姿が飛び込んでくる。

▲女性型VR「フェイイェン」ハート形のビームを振りまき戦う姿は現在に至るまで賛否両論

 初代バーチャロン発表当初、やはりその異質な存在感は賛否両論を呼び、物議を醸した。「フェイイェンさえいなければ」と言うような声もあった。しかしカトキ、亙の両氏はそれでいいのだと言う。フェイイェンのような存在が、バーチャロンと言う世界観とゲームの制約を取り払い「なんでもあり」にしてくれるのだと。
 登場するVR全体を見渡してみると、確かにそれぞれの姿が個性的であり、ロボットと言うよりは、むしろ格闘ゲームのキャラクター達を連想させるものがある。そう言った目線で見ると、女性キャラクターが混じっていることはむしろ自然であるとすら思えてくる。

 物語にロボットが登場し、それをデザインした者の名がクレジットされる場合、メカニカルデザイン、もしくはメカニックデザイン、と言った風に表記されるのが普通だ。しかし、バーチャロンにおけるカトキ氏の肩書は「キャラクターデザイン」なのである。VRはロボットである前に、それぞれに個性を備えた「キャラクター」として扱われているのだ。
 カトキ氏自身、VRを巨大ロボットとはとらえず、等身大のキャラクターとしてVRを見ていると言う。ゲーム中で実際に動くVRの姿を見てみると、呼吸をしているかのようにその身を上下に、あるいは左右に揺らし、走ればある者はせわしく地を蹴って走り、ある者は足を地から浮かせて優雅に滑っていく。動作1つ1つをとっても、まるで生きているかのように見え、ロボットでありながらも活き活きとしたキャラクターとしての面を感じさせる。
 そうしたキャラクターとしてのイメージを際立たせ、「こんな変なヤツがいるんだから、次はどんなヤツが出てくるかわからない」―そう思わせる、なんでもありのゲームなのだと見る者に伝える。
 それがフェイイェンに、ひいては全てのVRのデザインに託された役割ではないだろうか。
 そしてそのようなバーチャロンであったから、「とある」の世界にうまく溶け込むことが出来たのではないだろうか。

 

▲「なんでもあり」を体現するかのように個性的なVR達

「なんでもあり」だからこその破壊と再生

 VR達に託された「なんでもあり」と言う言葉は、作品の世界観だけに限られたものではない。
 バーチャロンと言うゲームの根幹に根差す、ディレクターの、デザイナーの、バーチャロンを作ってきた者達のスタンスとして、「既存の概念を破壊し、新たなものを生み出したい」そんな願いを込められて、その言葉が存在する。

 「ロボットゲームは売れない」。かつて存在したその常識に疑問を抱き、NOを突き付けるため、初代バーチャロンが生まれたことは既に述べた。
 OTが限界を超えたスピードを志向し、結果として前作とまったく異なるゲームとなったことに多くの者が反発し、しかしまた新たに熱狂的な支持者を得たことも語った。
 フォースもまた、引き下げられたスピードに落胆して多くの者が去り、入れ替わるように、代償として深められた戦術性に魅せられた者達に支えられてきた。
 マーズが目指したのは、「人間同士の対戦こそバーチャロンの真骨頂」と言う枠組みを覆すことであり、そのために家庭用、1人向けのゲームとして生まれた。
 振り返れば、バーチャロンの歩みの中には常に、過去の破壊と、新たな何かを目指した再生があった。
 結果を見て、それらを単なる迷走と呼ぶのは容易い。むしろ商業的に見て、そう呼ぶことが正しい。
 
 しかし、だからこそ、バーチャロンはバーチャロンなのだ。
 既存の概念を、自身の成功さえも否定し、何の担保も、何の保証もなく、新たな可能性を求めて挑戦し続けていく。 
 その姿こそ、バーチャロンと言うゲームの形なのだ。

 多くのプレイヤーが、その姿に心を打たれ、しかし裏切られもしている。その裏切りゆえに、シリーズ各作品の支持者の間には派閥とでも呼ぶものが存在し、何かきっかけがあれば互いを誹りあうことすらあり、己の拘りについて頑固に一歩も譲らず、めったに交わることがない。筆者もその1人である。なんと面倒で愚かな連中なのだろうと思う。
 それでも、バーチャロンと言う1つのシリーズを通し、彼らはその根底で同じ思いを共有している。
 「新しいバーチャロン」が、「とある魔術の電脳戦機」が、自分に新しい楽しみを見せてくれるかもしれないと。 

▲「とある魔術の禁書目録」主人公の「上条当麻」とテムジン 「その幻想をぶち殺す」が決め台詞の彼とバーチャロンの出会いは、単なる偶然だろうか

 

だからこその「とある魔術の電脳戦機」

 これが書かれている現在、ゲーム「とある魔術の電脳戦機」は発売秒読みの段階である。既に各地での試遊イベントや、体験版のオンライン配信等を通して、多くのバーチャロンシリーズ経験者、あるいは「とある」シリーズのファンが、このゲームの一端に触れている。

 ある人は「これぞバーチャロンだ」ともろ手を上げて喜び、ある人は「過去作と違い過ぎる」と眉を顰める。
 筆者の感想は前者であり、後者でもある。完全なる私見であることは断っておきたい。
 筆者の好むところであった近接戦が簡略化され過ぎているし、シリーズのシンボルとも言うべき操縦桿型コントローラー「ツインスティック」が諸般の事情により存在しないし、何より(フォースに登場した)筆者の一番好きなVRが登場していない。とても残念だ。

 重ねて、だからこそ、確かに「バーチャロン」だと思う。

 亙氏が、度々「化学変化」と言う言葉を口にしていた。その先に新しい可能性があるかも知れないと。
 今はまだ、その言葉が本当のものであるかを確かめることはできない。
 しかし、そのための新ルールであり、ツインスティックの不在であり、「とある」コラボであると言うのなら、いつまでも残念がっていても仕方がない。バーチャロンは「なんでもあり」のゲームなのだから。 
 かつてゲームセンターで、あるいはネット対戦の場で手を合わせた人達と、そしてまだバーチャロンを知らない「とある」ファンの人達と、「とある魔術の電脳戦機」を共に楽しめることを、待ち構えるだけだ。

 最後に、「バーチャロン」を作り上げ、その前途の為に20年以上もの間心血を注ぎ、辛苦に耐え抜いてきた亙重郎氏と、共にバーチャロンを支えてくれた全てのスタッフに、最大限の感謝を送りたい。
 そして、「バーチャロン」と「とある」の出会いが、幸福なものになることを願っている。
 

 

 

(C)SEGA CHARACTER DESIGN:KATOKI HAJIME
(C)2017 鎌池和馬
キャラクターデザイン・原作イラスト/はいむらきよたか
Licensed by KADOKAWA CORPORATION ASCII MEDIA WORKS
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(C)SEGA CHARACTERS (C)SEGA/AUTOMUSS
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